私が宮古島を好きな理由。波乱万丈な人生の舞台
NHK番組【あさイチ】「共感のつらさ 調べてみた」に出演しました。
9/11 (月)NHK番組【あさイチ】「共感のつらさ 調べてみた」に出演!
2018年6月。
五十嵐 かおるは、東京から沖縄の離島《宮古島》に移住しました。
身近な人たちは、私の尋常ではない宮古愛を知っているので「やっぱりね・・・」と言ってくれますが、
それ以外の人たちからは「なんで宮古?!」と言われます。普通そう思いますよね。
堅実なOLを目指していた私にとって、宮古島との出会えたおかげで、波乱万丈ながらも幸せな人生が拓けていったのです。
今回は「私が宮古島を好きな理由」についてお話させていただきますね。よかったらお付き合いください。
目次
そもそも、宮古島ってどこ?
沖縄本島から飛行機で南へ40分。(南西へ303km)
東京からだと飛行機で3時間くらいの場所です。
島の外周道路を車でドライブすると、3時間くらいで回れる大きさです。
「離島」=「何もない」と思われがちですが、観光に来た人は「意外と都会だね」と驚かれます。
一部に集中していますが、マックスバリュ、ドンキ、百均、ツタヤ、マック、吉野家、ヤマダ電機、しまむら、ドラッグストア多数、ファミマが数店舗・・・生活には困りません。あとはAmazonさまさまです。
島の中心部以外は、のどかなサトウキビ畑が広がっています。
宮古島を知ったきっかけ
東京に住んでいた時、通っていた美容室が1番のきっかけです。
オーナーが沖縄大好きな人で、社員旅行は毎年沖縄本島か離島。
その影響か、担当の美容師さんは宮古島大好きな人だったのです。
いつも髪を切りながら「宮古島っていいんですよー」と熱く話してくれる。
「時間の流れが違うんですよー」チョキチョキ。
「めっちゃ癒されるんですよー」チョキチョキ。
そんなに言われたら行きたくなりますっ!
五十嵐
1年も通った頃には、宮古島に行こう!と決意していたのです。
(今でも東京に帰ると、その美容師さんにカットしてもらいます)
宮古島の美しすぎる海〈宮古ブル−〉にひっくり返る
28歳で初めて宮古島へ。
ドライブしながら、曲がり角を曲がった瞬間、パァァッと視界に広がった初めての〈宮古ブルー〉は今でも目に焼き付いています。
サンゴ礁が透けるほど透明で、真っ青なの海を初めて見た私は、言葉を失いました。
こんなにキレイな景色が、この世にあるんだ!!
五十嵐
ポスターやカレンダーで見たことはあっても、田舎者の私にはどこか無関係な世界に感じていたのです。
「作り物」「一般人は行けないところ」だと思っていました。
それがまぁ、肉眼で見えるなんて。
あとで知ったのですが、その日はお天気が良くて、海の青さがいつにも増して輝いたんです。
ツイていました♡
五十嵐
※宮古島は、何万年も前に〈サンゴ礁〉が隆起(ボコッと顔を出した)島です。そのため、土がありません。土のように見えるのは石灰。サンゴの一部なのです。山もないので、川も流れていません。そのため、土砂が海に流れ込まないので透明度が高いのです。
離島はたくさんあるのに、どうして宮古島?
すっかり離島の虜になった私は、その後も石垣島、竹富島、小浜島、波照間島、沖縄本島にも行きました。
でも、また行きたいのは宮古島なのです。
テレビで宮古島の映像が流れていると、食い入るように見入ってしまう。
雑誌を見ても、目が釘付け。
まるで宮古島に「恋」をしてしまったように、宮古島のことが忘れられなかったのです。
1回目は単身で飛び込みました
その後、OL勤めをしながらもプロカウンセラーの資格を取得し、2足のわらじ生活に突入。
お客様には「好きなことをやったほうがうまくいくよ!」とアドバイスしながらも、全然好きではないOL生活(建築設計)をしている自分が嫌になっていく毎日。
とうとう「私自身が好きなことをしていないのに、お客様に言い続けるのは心苦しい」と会社を退職し、宮古島に行くことを決めたのです。
ダメ元で応募した、リゾートホテルのバイト。電話1本で決まるほど、島は人手不足だったのです。
今は夫婦で宮古島に住んでいますが、1度目の移住は8年前。単身で宮古島に移り住んでいたのです。
五十嵐
住んでわかる、宮古島の良さ
バイト先の寮は、狭かったけどオーシャンビュー。
青い海は、毎日違う表情を見せてくれます。
夜は満点の星空。
休みの日はシュノーケルに行ったり、写真を撮りに行ったり。
海の見えるカフェはお気に入りになりました。
ある晩、何かが眩しくて目が覚めると、幻想的な満月が部屋を照らしていたこともあります。
ヤモリも、カニも、鳥も、カエルも見慣れました。
宅急便は遅いし、大きな本屋はないし、可愛い服も売ってないし、お給料はとっても安いし、不便なことはたくさんあったけど、私にとっては感動のほうがずっと大きかったです。
それまで地元が好きではなかった私は、大阪や北海道の友達が「地元がいい」という感覚が全然わからずにいました。
でも、初めて「ここにいたい」と思うことができたんです。
「土地を愛する」という意味を知ることができました。
宮古島に住む人たちとの出会い
島で知り合う友達は、移住者がほとんど。
みんな「自分の意思」で宮古島を選んできた人たちばかり。
しかも行動力があって、好きなことを仕事にしているのです。
安定思考で、いい会社に勤めることが「いい人生」だと思っていた
頭のカタイ私には、信じられないくらい自由な生き方に刺激を受けました。
さらに、地元の人はマイペースで、とっても温かい。
スーパーで知らないおばさんから、「このお惣菜、美味しいのよー」って友達のように話しかけられることは日常茶飯事。
レジの店員さんも目を見て接客してくれる。
ひとつひとつが嬉しくて、ますます島のことが好きになっていったのです。
ご縁や、タイミング、楽しむこと、
引き寄せ、感謝すること、本気で向き合うこと…
友達や島の人に教えてもらった心で感じる生き方は、
カウンセラーとしてのスキルアップにもつながり
後の私にとって、かけがえのない宝物にもなりました。
東京に帰りたくない、でも帰らなきゃ
初めは3ヶ月の予定が、半年に延び、1年になり・・・
なぜか帰るタイミングを逃すことが何回もありました。
「帰らなきゃ。でも帰りたくない。」
現実を見ないようにして過ごしつつ
気づけば2年半が過ぎていました。まるで竜宮城のようでしたよ。
そして、とうとう貯金が底をつき
「永住覚悟で宮古島で働く」のか
「東京に帰って生活を立て直す」
このどちらかを選択する時が来たのです。
泣きながら帰った飛行機の中で
宮古島か、東京か。
迷っていた時に、東京の先輩から「仕事を手伝って欲しい」との連絡をいただき、帰ることを決めました。
宮古島を出発する日。
見送りに来てくれた友達に「行ってきます!!」と言いながらも、
空港のゲートをくぐった時は涙が止まらなかったのを覚えています。
まさか4年後、東京で出会った夫と
宮古島に帰ってこられるなんて、その時は想像もできなかったのです。
・・・もしかしたら、
帰りの飛行機で出会った、ある女性のおかげかもしれません。
「悲しくても、笑ってらっしゃい。
笑っていたら、楽しいことがやってくるわよ。
また、宮古に戻ってらっしゃい。」
窓際の席でひとり、泣きじゃくる私に優しく声をかけてくださったマダムの言葉。
宮古は、最後まで私に優しい島だったのです。
だからこそ、東京に帰ってからも私にとって大切な場所であり続けてくれました。
番外編
宮古島を旅立つ日、大切な言葉を教えてくれたマダムとの出会いについて書いたアメブロ記事もご覧ください。